1.日本維新の会の公約
日本維新の会は、高市首相を選んだ昨年の臨時国会で、「身を切る改革」として議員定数削減法案の成立を目論んだ。概要は「衆議院議員の定数を420人を超えない範囲で、1割を目標二削減」(法案第2条)とし、また「法律施行から1年以内に協議が整わない場合、小選挙区25、比例代表20(計45)の削減が自動的に発動される」(同第3条第3項、第4条第1項)内容です。
2.歳費や政党交付金にこそ手を付けるべきだ
だが、本当に「身を切る」つもりなら、歳費の削減や、政党交付金に手を付けるべきだ。。
私は歳費が安ければ安いほどよいなどという気は全く無い。しかし、筋立てて、それを国民の理解を通した寄附行為(カンパ)でやるのが民主主義の健全な発展に必要で、議員をあやまかす自動的支援制度は、なるべくなくすべきだと考える。
(1)歳費について
議員定数削減は総額としての歳費が削減されるだけだが、少しも各議員は「身を切っ」ていない。これをやってこそ、一人ひとりの議員の「身入り」が減らせる。議員定数は「先進国の中でも多くない」し、民意を反映する範囲が狭くなる意味で「角を矯めて牛を殺すことになる」可能性がある。
また選挙制度は、「小選挙区制」、その「区割り」など、議員の外枠の問題も多く指摘されている。これを解消するにはすべて全国1区、すなわち比例制にするのが理想なのだ(憲法違反だなんていう、票の不平等もなしになるはず)。それを抜きにした自動削減既定を設けるなど、非常に非民主的な規定なのだ。
(2)政党交付金について
政党交付金は、国が政党の政治活動を助成・支援するため、税金を財源として各政党に配分するお金のことです。1995年施行の政党助成法に基づき、国民1人あたり年250円を基準(総額約315億円)として、国会議員数や得票率に応じて4・7・10・12月の年4回交付されることになっている。
その目的は、「政党の政治活動の健全な発展と、政治的公正の確保」だというが、民主主義は議員が国民との接触から、国民の理解を得て議員活動を行う、それに理解を示した個人がその活動へ寄付するという本質を抜きにしては語れない。
政党助成金はそれをやらないでも税金から自動的に助成するものであり、議員への「甘え」を助長する以外の何物でもない。選挙になった途端「消費税の減税や廃止」で各党が足並みを揃えられるのは、この政党助成金が一役駆っているからではないか?
また藤田文武共同代表の行為も身を切るものではない。
藤田氏が代表を務める「日本維新の会衆議院大阪府第12区支部」が、自身の公設第1秘書が経営する会社「リ・コネクト」に対し、ビラやポスターの制作・印刷代名目で約2000万円を支出していたというもの(「退陣のXデーは遠くない? 維新・藤田共同代表に浮上した秘書への公金還流疑惑 ついに吉村代表にも飛び火!」)。
藤田氏は、「発注は実務に基づくものであり、法的には適正である」と主張しましたが、金額が正当かどうかにかかわらず、なんの苦労もせず身内に利権を独占させることが問題なのであり、「身を切る」とは真逆の「我田引水」です。後日本維新の会は見直しを表明しておりますが、どこまでやれるものか?
このように、総じて日本維新の会が「身を切る制度改革」と称するものは、「自分には甘く」その謳い文句とは程遠いもの、あるいは真逆のものではないだろうか。「聞こえの良い言葉」はならんでいるが・・・
3.「大阪都構想」を巡る知事選について
吉村大阪府知事は、三たび「大阪都構想」を再び掲げ、わざわざ大阪府知事選挙と同日選に持ち込みましたが、これは正面切って実現できないから、衆院選挙の影で「信任を得た政策」として打ち出したいためなのではないか?
大阪都構想は 過去2度の住民投票で「否決」され、、吉村知事自身も「僕自身3度目の挑戦はしない」と明言していた」にもかかわらずだ(都構想実現へ独断姿勢の大阪ダブル選 「独り相撲」の内憂外患)。
住民投票と知事選の出直し選挙は、同じ有権者を母数として行われるが、住民投票は有権者の「過半数」を獲得しなければならない。これに対し知事選は、立候補者の中での「最大」得票であれば良く、有権者比は過半数どころか「少数」でも良い点が異なってくる。立候補者が吉村知事単独であれば、選挙すら行われない。それでも公約は信任されたと擬制されるのだ。
結果、 最終的には大都市地域特別区設置法」に基づき住民投票を実施しなければならないが、大阪市民に向かっては「あのとき(知事選)公約を信任してもらいました。だから住民の皆さんは賛成するのが当たり前なのだ」と言えるようになります。
正面切っての政策の訴えが叶わないなら、この手があったか・・・・
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