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「働いて、働いて、働いて」のはずだったのでは?どうして「解散」?高市首相の「解散」に大義はない

 1.はじめに

 1月23日に召集された通常国会は「冒頭解散」された。これに先立って19日、高市首相は「解散の大義」について、記者会見で説明した。しかし、この解散には大義はなく、むしろ憲法の趣旨に反する行為だと考えられる。以下、高市首相の解散表明を簡単に振り返り、その不当性を明らかにしたい。

 

2.首相の記者会見を振り返る

 高市首相が記者会見で明らかにした今解散の大義について、色々あげていらっしゃるが、つまるところ「不安定な政権では、私のやろうと思っていることが実現できないから、解散して私の政権基盤を安定したものにする」というものだと思われる。(「 高市内閣総理大臣記者会見」より。)

 

 3.それは正しいことではない

 (1)首相個人の信を問うのが解散の大義にはならない

  憲法は、アメリカに代表される「大統領制¥を採用せず、議院内閣制にしたのは、たとえ比較第1党であっても、そこから選出されることを当然に予想し、そのうえで国会の中で議論が尽くされて、政策が生まれ実施に移されていくことを理想としている。だから議院内閣制のもとで首相個人の信を問うのは、大統領制との違いを混同した誤りなのだ。

(2)自分の考えが通らないのが不満?

  今の国会運営は、少数与党だからいろんな野党の意見を取り入れないと成立しない。これが国民に信を問う本音なのではないだろうか。そうだとすれば、具体的な政策云々の前に、国会では私の意見は通らないでやりにくい。私の考えを推し進める政権がほしいのだ」と明言してほしい。

  でもこれは自分の持ち出す政策は説得力を持たないので、選挙の名を借りて強引に自分の考え方に同調させようとすることを意味する。「説得力」で国会で堂々と議論をし、みんな叡智を集めて国の将来を決定することを嫌がり、いきなり日本の将来を決定させようとするのはナチスのヒットラーにも似ているような気がするが?

  いま、首相に求められるのは、あなたのいう国難にどれだけの叡智を集約できるかという懐の広さであって、クジを引くような賭けではないはずだ。 

 (3)生煮えの選挙公約

  提示された選挙公約は「〇〇をします」ではなく「〇〇を検討します」だったり、「責任ある積極財政」を始め抽象的なスローガンが多すぎる。本来はもっと具体的な事柄を掲げ、」これを実現するために〇〇と〇〇をこうします」といった選挙公約を作り、」国会ではここまで議論したのだが、どうしても理解が得られていないので、解散して国民にこの考えの信を問います」というべき。

  例えば、防衛政策にしても「アメリカのいうとおりにします。中国には対抗します。○年以内にGDPの10%にします。財源は社会保障の財源を10%削減し、防衛予算に回します」という具体性がないと国民は判断に困ると思います。

  今の選挙公約は、食堂に入った客の前に「エビと肉が用意してありますが、どれを選択しますか」と言っているようなもの。客はエビや肉を使った具体的な「エビのスープ」は1,000円、肉を使った麻婆豆腐は900円などと提示されて初めて選択できるのだ。

それもこれも国会で議論もしないうちに、解散、選挙を選んだからだ。

 

(4)「国会解散の専権事項」について

  解散権の首相専権事項は、「国会を解散する権限を首相以外の誰にもない」こと、すなわち帰属を規定しているに過ぎない。 解散をどのような場合にすべきなのかまでを「専権」事項としていないのだ。現在は「内閣に自由な解散権があるとしても、総選挙を通して民意を問う制度である以上、それに相応しい理由がなければならないと理解されており」、解散無制限論は政治家ぐらいしか持ち合わせていないのだ。

 

(5)仮に過半数が実現できたとしても全ての政策に信任を与えたことにはならない

  国民各政党が提案している政策の全てに賛同して選挙するのではない。あの政党の政策のうち、〇〇には酸性だけど、☓☓には賛成できないと考えても有権者は一人しか選べないのだ。だから仮に過半数を獲得しても、提起した政策全てに信任を得たことにはならないのだ。この謙虚さがないと乱暴な国会運営になり、また叡智を結集することなどできない。最終的に国のリーダーにふさわしいとは言えない。

  国会を再び「朝ごはん」の問答の場にしたいのなら別だが。

 

(6)まだ理解できないか?この前の参院選の敗退原因を!

  そもそもなぜ自民党が公明党の数を参入しても過半数に満たなくなったのは、2024年の衆院選挙からだ。石破前首相の責任の是非を問題にした高市現首相だが、決して石破氏が問題だったのではない。「政治と金権体質」「政治と宗教の癒着」そして「朝ごはん」答弁に象徴される国会軽視など、国民の生活そっちのけの、長期政権にあぐらをかいた政治体質が問題になって、国民は比較第1党を選んだのだ。「この状況ならば国民の願いも聞いてくれるだろう」と期待してのことだ。

  でも、高市首相は目をつむりました。

  他にもあります。「法の支配」をたかだかに振りかざし、台湾問題にまで発言した首相が、アメリカによる「ベネズエラのマドゥロ大統領を軍事作戦で拘束」には、トランプ大統領に苦言の一言も呈しておりません。

  これでは「世界の中心で輝く日本」ではなく、アメリカ陣営の最前線であくせく働く日本になりかねませんね。

  都合の良いことには美辞麗句を並べるが、都合が悪くなるととたんに口をつぐむやり方は、決して範を示す「先生」にあるまじき行為ではないでしょうか?

  世界が困難な状況にあることは理解できますが、だからこそ必要なのは叡智を集めることであって、「私を信任して」なんて叫ぶことではないはずです。

 

3.まとめ

  高市首相の今国会解散劇は、大義にならぬことを、「大義」に見せかけた解散です。しかも、政治空白を投票所に行くことすらままならないこの時期に作ったことに、理解どころか日本のリーダーとして非常に不適切な行為だと猛省すべきだと思われる。 

 

 

 


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