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もはやアメリカは民主主義の擁護者ではない。「利己主義」国家と呼ぼう

 昨日のニュースで「主導国不在 今年最大の政治リスク」と題する記事が掲載された。概要を記すると

  • 1月6日、国際政治上の危機分析を専門とする米調査会社のユーラシアグループが今年最大の重大リスクをまとめた報告書を発表した。
  • リスクのトップは、G7が影響力を失い、自国優先に傾いて主導国のない「Gゼロ」の国際社会
  • 第二のリスクは、大統領権限の抑制の弱体化と法の支配の後退によるトランプ大統領一人が米国政治のすべてを左右する恐れ

詳しくは https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250107/k10014686531000.html

これに加え、デンマークの自治領グリーンランドを「アメリカが所有すべき」と主張し、これに従わない場合には高い関税を課することを主張しているという。

ここに至っては、体の良い「ロシアによるウクライナ併合」と同じ戦略であり、これまでに築け上げた民主主義の崩壊者と評価すべきであろう。「アメリカファースト」がここまで来ると、自分のことにのみ専念する「利己主義(selfishness)国家」と呼ぶべきだろう。

日米同盟の深化させようとしている日本政府は、これに加担することになる。日本政府も「利己主義国家」の正犯者となるのであろうか!

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