スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

国民にとって必要な、放送法の「政治的公平」を考える

  1.問題の所在 放送法第4条第1項第2号に「政治的に公平であること」が放送事業者の義務とされてされている。この「政治的公平」ってどんな意味?誰が判断するの?というのが今回のテーマである。 2.みんな同じ放送が「政治的公平」な放送か? (1)政治家にとって都合の悪いことばかり放送されると、いま話題となっている「放送法の解釈変更」なんて言う姑息な手段を使い、「停波」まで必要と考えるようになるのだろう。 しかし、この規定が「国民(視聴者)にとって政治的公平な放送」と考えると、結論は全く逆になってくる。 (2)一例で、東京オリンピックを上げよう。 今頃になって「金まみれの東京オリンピック」とか「オリンピックを活用した東京再開発」といった様相が明らかになりつつあるが、それはさておき・・・ 当時、各放送局は右ならいしたかのように「東京オリンピック賛美」に染まっていた。 このような状況に起きたのが、東京オリンピックをめぐるNHKの嘘の報道事件がある。 詳しくは、 「五輪反対デモにお金をもらって参加した」ウソ字幕で大炎上してもNHKが絶対に口にしない”2つの言葉” を読んでほしいが、例の東京オリンピック反対運動に「金をもらって参加」していると、全く事実と異なる字幕を流した事件だ。 NHK側は「編集者の確認不足」と結論づけたが、この報道で「反対運動は金に染まっている」という印象を視聴者に与え、反対世論を抹殺したという事実はどこまでも残るし、無理やり「オリンピック賛美論」に傾けるための編集者の涙ぐましい努力?だったのではないか?と勘ぐりたくなる。が、このようなやり方が「政治的公平だ」と誰もが考えないだろう。 むしろ、1放送局、いや1番組でも、オリンピックが国民全体の世論ではないこと、たとえそれが少数意見でもそのような世論が存在することを映し出すことが「政治的公平」な放送というべきある。 なぜなら、視聴者は、このような意見、流れもあるということを知り、考え、東京オリンピックに対する意見を形成していくものであり、このような放送が、国民一人ひとりが政策を考える上での重要な意見(資料)になるはずだからだ。 また政治家にとっても、政策づくりを考える際の貴重な世論と考えるべきであり...

「桜を見る会」前日の懇親会費用負担問題は、我が国の総理の非常識をさらけ出した!

  「桜を見る会」前日の懇親会の費用負担を巡って、安倍前総理は「自分の預かり知らぬところで、事務所の秘書が勝手に費用を負担しており、政治資金収支報告書に記載していなかった」(要旨)ことを認めた。詳細については各種報道を参照にしてほしい。また「桜を見る会」全般の問題については ここを参照 してほしい。 仮に安倍前総理の言うとおりだとして、それだったら安倍前総理はどれだけ常識に欠けた人間なのだろうかと疑ってしまう。 誰が考えてもあの有名ホテルを一人5,000円で利用できるはずがない。一般の方とは扱いが違う。政治家(且つ首相)だから特別なのだということであれば、「特別の利益」を受けていたということだろうが、そうでないとすれば疑問が出てきて当然ではないか?だから国会の中でも二転三転した答弁が続いていたのではないか?この間に、疑問を持ち事務所に問いただし、疑問が解消しなければ自ら調査に乗り出すなどの行動に出るのが普通の常識ではなかろうか?一国の首相ならば尚の事である。 それをそのまま118回の「虚偽答弁」に結びつけた。 しかも安倍前総理は説明責任は果たしたので、次期衆院選に出馬して国民の信を問うということも明言している。 でも、普通の人だったら「穴があったら入りたい」と考えるのでは! こんな非常識な常識を通した日本の総理のレベルをさらけ出したのが、この費用負担問題ではなかったか。

ためにする議論?

  はじめに 最初にお断りしておくが、「(憲法改正について)議論しない」という主張をするつもりはない。どんな場合も状況を詳細を調査の上、時宜に応じた改正は法制度そのものの宿命であり、そうでなければその存在意義を失うと考えるからである。 一般論は、そうであるが、憲法第9条を巡って改正を主張する論者の記事が目に入ったので、この主張を中心に憲法第9条の改正について考えてみた。 ある論者の主張 それは 憲法改正~きわめて特殊な憲法をこのまま持っていて良いのか である。「ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(5月14日放送)にジャーナリストの有本香が出演。憲法改正について解説した。」と紹介されている。 記事の内容は、長文となるので、ここでは以下の通り要約した。誤りがあれば指摘いただきたい。 各種世論調査でも『議論すべき』が拮抗する状況にあるのに、現在憲法調査会が行っているCM規制問題は、本質論から外れている。有事の際に他国と同じように自衛隊が活動できない以上、日本国民を守れない。そんな規制を行っている憲法を「そのまま持っているのですか?」ということです。 国である以上、何か不測の事態が起きたときには守らなければならない。そのとき、日本だけが他の国にはない形で自分の手足を縛ってしまうのは、憲法を大事にするあまり国民を守れないということです。 主権が回復していないのと同じようなこと。 中国あるいは北朝鮮は、額的にはそれほどではないにしても脅威として大きくなっているのは日本の責任で、例えば集団的自衛権の行使を認める方向にして、さらにそのまま憲法を改正する方向に進んでいたら今日のような事態にならなかったかもしれない。 国民を守るために 国のあり方について、主権国家である以上自衛権が一般的に認めれられているという認識については異論がない。例えば今年は台風災害が目立ったが、あんな特殊な状況から人命を守ったり救出するのは、まさに特殊訓練と特殊装備を有している自衛隊が活動すべき場面である。 問題は、国を守るのに軍事力か?という問題だ。有本香氏はこれを当然のごとく、軍事力が国民を守るということを主張しているのだろうし、憲法を改正し軍事力を保有しようという主張なのだろう。 しかし、軍事力を有する...